「あなたの隣に、マイノリティはいるかい?」-マツコ・デラックス インタビューを読む。マイノリティの意見とWeb情報について

あなたの隣に、マイノリティはいるかい?

KAI-YOU.net さんの記事
“電波芸者”マツコ・デラックス インタビュー Webメディア/ゲイについて –
を読みました。
http://kai-you.net/article/36942

テレビで見ない日はないマツコさん。現代のメディアとマイノリティの表現について、当の本人はどう思っているのかー?
実に、面白いインタビューをだったので、自分の思うところを含めて書いてみたいと思います。

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「僕は君と違う」ことを日常でどれだけ意識しているか?

 

マツコ アタシ、たとえゲイであろうと、ヘテロであろうと、既婚者だろうが、独身だろうが、人間って生きづらいのが当然だと思ってる人なのよ。結婚したから孤独が解消されるかっていったら絶対ないし、血がつながってるから100%理解し合えるかっていったら、絶対そんなことない。自分自身が他者に100%理解してもらえることなんて、絶対にないって思ってるのね。だから、アタシが自分の体験を語ることって、実はそんなに意味がないと思ってる。

 

マツコさんは「他人に100%理解されることはない」と話している。そして、何よりもひとりの個人なわけで、マイノリティの代表として見せてしまうことを恐れている。

マイノリティの発した言葉は、どうしても「それがマイノリティの共通した意見」であると見られてしまう。

自分の意見が、マイノリティの総意として受け取られてしまうこに、随分と気を使ってくれているようだ。

人間は、ひとりひとり立場も違えば、考えも違う。

ネット社会が登場してからだいぶマシになったとはいえ、この当たり前のことが、まだまだ日本には残っているんだろう。

これはたぶん、昔の学校教育の影響やらなにやらがあるんだろうな。

基本的な公立小学校で求められるのは規律性と同調性だ。授業は同じように進むので、優れた子は物足りないし、勉強できない子はわからないまま。
イベント事も矯正されて、「みんな同じ」という視点が育まれていく。

「僕と君は基本的に別人だよ」ということを教えることが、まず第一だと思うんだけどね。教育では。

マイノリティの意見は必ずしも一致しない。

申し訳ないけど、ゲイである以前に、アタシはアタシという個人なわけで、万能の民ではない。だから、やれることはものすごく小さくて、その中で生きてるわけ。だから、アタシは自分がゲイとかLGBTみたいなものを背負っているかのように見せてしまうことのほうが恐怖なんだよね。

 

最初の話にも戻るけど、民意ってものがネットで簡単に書き込めるようになったからこそ、(自身の個人的な欲望を発信しないというのは)一番気をつけてるところ。アタシがLGBTについて語ってしまうと、そこでまた(見た人が)何かを書き込んで誤解を生む話が出てきてしまう。アタシ自身、ゲイとしてのプライドもあるから、さっき言った「マツコさんがメディアに出ているとゲイが誤解される」って言っているような人をさらに誤解させてしまうことになるのが、本当に申し訳ないって思う。だから、そこはすごい注意してる。

 

マイノリティのであるからといって、意見が一致しているわけではない。
属性(マイノリティであるから)意見が一致するなんてありえないんだ。
たとえば、女性だから、全員が待機児童解消問題に賛成しているわけではないし、女性の社会進出に賛成しているわけでもない。個人には、個人の考え方があるのだ。

LGBTの場合で言うと、最近は同性同士でも結婚(と同等なパートナーシップ制度)できる自治体が出始めた。
これに同性同士のカップルが全員賛成しているかというと、そうでもないのである。

僕の場合、基本的には賛成で「とにかく国レベルで認めろ」でいいと思っている。
しかし、自分が使うかというと、別問題なのだ。

なぜならば、昔は同性同士は結婚できないのが当たり前だった。だから「どう考えても結婚制度の枠には入らないのだから、相手ができたら自分自身だけのパートナーシップを確立していこう」とずっと考えていた。
(ちなみに今は独り身です笑)

いざ、結婚できますよ、って制度ができたとしたら嬉しいけど、結局国に取り込まれていくようで腑に落ちないんだよねえ。

同性同士で結婚できるようになったら、次は「結婚してない人がおかしい」的な新しい風潮も生まれてきそうなのが気がかり。

個人には属性にかかわらず、個人の考え方があるのだ。
Webで簡単に情報が入ってきて、スマホで文字情報が読み飛ばされてしまう時代。
大量の情報が入ってくるけれど、自分と無関心なものは「そんなものか」と認識してしまいがちだ。僕も含めて。

そうなってしまうと「メディアが作ったマイノリティのイメージ」がそのまま「マジョリティ(多数派)のイメージ」として出来上がってしまう。
わかりやすいところで言えば「24時間テレビ・愛は地球を救う」の障害者イメージかな。
最近は一部の障害者自身が「あの番組はおかしい」と声を上げ始めてるし、そう、マイノリティを、自分の隣にいない人たちをイメージで判断してはダメなのだ。

メディアでもう一ついうと、一昔前は、過激な意見を言うのは外国人と決まっていた。今ならフィフィさんとかね。
なぜかというと「所詮、日本人である自分たちとは違うところに住んでるから」だと思われる。

それを、いまはオネエタレントと言われる人が担っている。属性が外国人から「オネエタレント」に変わっただけである。
※注マツコさんは性自認は男性。女装である。男の娘、ようなものかな。
なぜかというと、このインターネットが発達した現在、テレビ局には過激な意見を言うとクレームが来るということもあるのだろうが、オネエタレントなら「別世界の人」だから少ない、のがあるんだろうな。

マツコさんもインタビューの中で言っているように、テレビの世界だから「多少は面白くないと」意味はないのは間違いないのだが、もうちょっと、どうにかならんかね笑。

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あなたの隣に、マイノリティはいるかい?

マツコ もちろんテレビや新聞や雑誌が伝えていること=真実ではないんだけど、一時期「ネットでの民意が真実だ」みたいな流れになって、でもネットを活用している人たちには「それも違うよ」っていうのは言いたいんだよね。真実のメディアなんてものはこの世に存在していない、っていうことだけは理解していないと。

 

記事の執筆者、須賀原みちさんはこう記している。

インタビューを終えた筆者が思うのは、マツコさんは一貫してメディアリテラシーのことを話していたのだ、ということ。

マツコさんは「真実のメディアなんてものはこの世に存在していない」と語る。それでも、人は自分の想像力が及ばないものに対して、往々にして思考停止をし、メディアが伝えたものを真実として受け取ってしまいがちだ。だからこそ、マツコさんはゲイとしての自分をテレビというメディアを通じて大々的に表現することはないし、そのことが生む誤解やその誤解に他者が巻き込まれてしまうことに恐怖を感じる、という。

 

前に、Twitterでこんなツイートを見たことがある。(検索してみたけど出てきませんでした)

「ゲイが嫌いな人は、ゲイの友達がおらんのじゃろ。韓国人が嫌いな人は、韓国人の友達がおらんのじゃろ。身体障害者が嫌いな人は、身体障害者の友達がおらんのじゃろ。」

これは本当にその通りで、実際に詳しくを知らないので、曖昧なイメージや報道だけでマイノリティの全体イメージができてしまう。

LGBTについて思うことは「認知ばかり先に進んで、実体がまだついてきていない」ことだ。

テレビに登場するオネエタレント(この言い方は嫌いだけど)とカテゴライズされてしまう人たち、東京でレインボーフラッグを持ってパレードする人たち、ダイバーシティで差別せず積極的に採用する企業・・・

「世の中にはこういう人がいる」はわかるようになってきたけど、一般人と同じように生活している姿はまだまだ見えないんじゃないかな。
学校に行って勉強して、会社に行って仕事をして、昼ごはんを食べて、夜は疲れて寝る。
そう、あなたと同じように生活しているLGBTの姿は。

あなたの隣に、マイノリティはいるかい?

(セクシャル・マイノリティにかかわらず、ね)

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さいごまで、ありがとうございました。

また、次のエントリーでお会いしましょう。

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ABOUTこの記事をかいた人

モリモトミライ

ADHDでLGBT。「残りの人生、やりたいことをやって生きたい」42歳。男性。 41歳でADHD(注意欠陥・多動障害)と診断されてから「自分と同じ苦労をさせたくない」ために日々活動中。転職・仕事術・ライフハック等が得意分野。