ミニマリスト、と呼ばれている「持たない暮らしをする人々」が注目されている。
徹底的に持たない人々。
僕にとってミニマリストの人々を見ていると、なんというか、物欲を捨てて旅に出たブッダに見えるのですが(いや、そうとしか見えない)。
憧れる部分あり、尊敬する部分あり。
手放すことができる、という人は、本当に精神的に強い人なのだろう。
さて。
僕はミニマリストにはなれないし、なりたくもないと思っている。
なぜなら物を捨てることは「今までの自分の人生を捨てるようなことになる」と感じているからだ。
自分の部屋には、物ばかりある。
しかも、20年以上存在している物体も多数ある。
例えば、
小学校時代に大ブームだった週間少年ジャンプのグッズ
高校時代のテツヤコムロ
大学時代に貪るように読んでいた澁澤龍彦の本
新社会人になって初任給で購入した文学全集(結局本ばかり読んでいる)
今大好きなバンド関連グッズ・・・
数えていけば、切りがない。
正直、20年は開けていない段ボール等もある笑。
でも、これらを捨てると言うことは、苦しくてどうしてもできない。
自分の人生を、今まで生きてきた人生を捨てることがどうしてもできないのだ、
あれは・・・
パールバックの小説「大地」だっただろうか。
主人公が、死んでしまった妻と子供を埋葬する、というシーンがある、
そこで主人公は言う。
「妻子を埋めているたけではない。自分の人生の半分をうめているのだ・・・」というセリフがある。
自分にとって「物を捨てる」とはこういった心境に近い。
物には、その物を当時買ったのには理由や、思い出がある。
それを捨てるのは、自分の今までの人生を捨てるということ。
「人は1日に15分は捜し物をしていて、1年間で90時間も無駄にしているんですよ」
とミニマリストは言う。
自分の所有物には、1年間の90時間以上の価値がある。
別に、人生がときめかなくても、いいのだ。
死んだら、全部ゴミじゃないか、
とよくいわれる。
ならば、遺品整理業者と生前に契約すれば良い。それだけの話だ。
今後、引っ越しをする事があったとたら、たぶんレンタル倉庫を借りるだろうなあ。
僕はミニマリストには、なれないけれど。
残りの人生は、物に埋もれて生きて死んでいきたいと思う。
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